きゅうりの話

家庭園芸救急箱

ところが江戸時代も終わりの頃となると評価が変わってきます。

江戸後期の思想家であり農学者でもある佐藤信(のぶ)淵(ひろ)は、その著書『草木六部耕種法』(1833年)で、

「胡瓜は諸瓜の最初に出来る者にて、世上甚だ珍重す。諸瓜の盛なるに及ては人も亦賞美せずと雖も、此れ亦一個の大用ある者なり。宜しく多分に作るべし」

と述べ、多くの瓜の中でもいちばんに早くできるキュウリの性質は重要で、もっとたくさんキュウリを作るべきだ、と栽培を奨励しています。

このキュウリに対する評価の転換は、食味の良い華北型キュウリの導入と関係があるかもしれません。

貝原益軒とキュウリ

18世紀末期から19世紀中ごろにかけて、江戸(東京)、大阪、京都などではキュウリの早出し栽培がはじまり、だんだんと都市でもキュウリは重要な野菜になっていきました。そして明治、大正、昭和と時代を経るにしたがい、キュウリの栽培面積は拡大し生産量も増加していったのです。

そして1970年代~1987年には日本のキュウリ生産量は100万t前後にもなり、世界一のキュウリ大国になりました。

しかし、その後は徐々に減少し2011年の収穫量は約58万tとなっています。それでも、日本国民一人あたりのキュウリの年間消費量は約8kgで世界一といいますから、日本はキュウリ好きな国といえるでしょう。

水戸黄門とキュウリ